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まだまだ続くし~付点の足音~

(5)自宅復帰リハビリの日々12/16~12/24

   (5)   2003/12/16~12/24

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   ~ Tさん、ファイト! ~



  自宅復帰後52日目   2003 12/16(火)


朝一番で訪問リハビリのT先生とラッシュ体験をしました。
自宅→駅→会社最寄り駅→会社と歩行も含めてT先生に見てもらいました。

先日二人で乗った時とほぼ同じ時間帯でしたが今日の方が電車は混んでいます。
ドア付近に立っていたので駅に着く度にホームへの出入りがあり、人に押されてよろけないかと心配になりました。

先生もその点が気になったようですが、「全体的には思った程悪くはない」との評価でした。
やはり慣れも必要なのでしょう。

会社までの道のりも確認してもらった後、駅でちょっと休憩しました。
先生とは先週初めてお会いしたばかりなのですが、とても気さくに話してくださる方です。

発病当時の事、リハビリの事、今後の事等など沢山話してしまいました。
誰にでも話せる内容ばかりではないので、shinも私も溜まっていたのかもしれません。

それにしてもこんなに早い時間に一緒に外出訓練をしてもらえるとは思ってもいなかったので、本当に感謝です。
先生もshinのようなレベルの在宅患者は初めてらしく、「私も新たな経験です」と言われました。

先生とは途中で別れ、私達はそのままF病院のリハビリへ向かいました。
今日はSTとOTがあります。

病院へ入るとTさんご夫婦が時計台広場が見える場所におられました。
最近はすっかり寒くなり外に出る患者さんもあまり見かけません。

久々にお会いするTさんです。
随分元気そうになってはおられましたが、歩行と失語症の更なるリハビリのために、明日転院される事を聞きました。

shinとTさんは入院当初いきさつがあったので険悪なムードの時期もあったのですが、3ヶ月の入院期間中にコミュニケーションが出来るようになっていました。

病棟で聞いた話ではTさんは警官だそうです。
意思が強そうなお顔や屈強な上半身を見ていると、ナルホドと思います。

私と奥さんも年令が近いこともあり、会うと近況を話せるようになっていました。
でも「○さんは歩けていいですね」「話せていいですね」
「字が書けていいですね」と言われる事も多く、私も慎重に言葉を選びました。

今日は「○さんみたいに歩けるように新しい病院でもがんばるからねっ」との明るい言葉に救われました。
ちょっとナーバスになっているTさんは「じゃあ、体に気をつけて頑張ってください」と言ったshinの手を握り涙を流していました。

私もウルウルしてしまいましたが、こんな時いい言葉がうまく出て来ない自分がもどかしく思えます。
聞いていて「あぁ」と思える言葉を沢山持っているのは、きっといろんな経験をして涙も一杯流した人なのでしょう。

「頑張る」と一言で片づけるのも好きではないのですが、今日はTさんも奥さんもしなやかに頑張って欲しいと心から願いました。



*************



   ~提出書類…ムズカシイ ~


 
 *自宅復帰53日目*   2003 12/17(水)   


午前中は会社へ提出する書類の下書きをしました。
午後からshinは地区のリハビリ教室へ出かけましたが、今日は着いたよコールが出来ました。
「建物に入る前に連絡する」ことが漸く定着してきたようです。

shinが下書きをしながら良い文章が思いつかず、私は文例集を買ってこようと思っていたのに、買い物だけしてすっかり忘れて帰ってきました。
これではshinの事は言えませんね。

どうしようかと迷いましたが、後悔はしたくなかったのでもう一度書店まで出かけました。
ビンゴ!ほぼピッタリの文例を見つけられました。
よかったぁ。



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    ~トホホ ~



 *自宅復帰54日目*   2003 12/18(木)  


shinは朝から会社への提出書類を書いています。
入院中から書字は練習してはいたものの、日記程度のものしか書いていなかったので、フォーマルな文章はなかなか進まないようです。

小さなミスもあれこれあり、コピーを取って下書きをしたのは正解でした。

午後からのケアマネージャーのKさんの訪問が終わり、急いで郵便局へ行きました。
列に並んで順番を待っていると、shinが書いた封筒の宛名書きに会社名が抜けていることを発見。

ああ、きちんと確認したつもりだったのに…。
私の注意力の無さに腹が立ちます。
どうしようかと思いましたが、結局私が書き足しました。
本当に悔やまれますが仕方がありません。

買い物もして帰りましたが、同じものを2個買っていることに帰宅後気がつきました。
あ~ぁ、本当にどうしたことでしょう。
私の注意力は限りなくゼロに近い感じです。
こんな日もあるのかぁ~。

トホホの一日でした。
こんな日は早く寝るに限ります。



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    ~検査結果…落ち込む ~



 
  *自宅復帰55日目*   2003 12/19(金)   


午前中T先生の訪問です。両親のリハビリは現在の機能の維持を主な目的としていますが、このような介護保険の利用の仕方が出来て本当にありがたいと思っています。
それぞれの部屋で会話を交えながらのリハビリは、精神的にも両親のプラスになるのでは…と思います。

午後からはK先生の診察でした。
その前にH病院に寄り、先日の検査の結果を貰いました。
shinも目を通しましたが、相当シビアな結果でした。
本人も覚悟はしていたようですが、落ち込んでいるのも分かります。

私は「病後半年だし、この結果をスタートにして右上がりになっていけばいいじゃない?」と言うのが精一杯でした。

shinはK先生に先日の超特急診断書のお礼を述べ、午前中にまとめていた質問などをしています。
先ほどのH病院の検査結果も見てもらいました。
K先生もコピーしてshinのカルテにファイルしていました。

身障者手帳の話も出ました。
shinの場合、そんなに重い級は取れないようですが、これから先の社会生活にもあった方が何かとプラスになる事もあるようです。

中には取りたくない人もいるようですが、shinは特に嫌がる気持ちも無く、申請の準備を進めることにしました。


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    ~キャロル~


  *自宅復帰56日目*  2003 12/20(土)   


長女は終業式とキャロルがあると言って登校しました。
帰宅後「キャロルもその後のお汁粉も良かった~」と興奮した様子でした。

shinの復職について両親と話をしました。
現在の状態では無理なのではないか…と懐疑的な思いがあるようです。

入院中から退院後もshinとは深く話をしようとしない両親です。
間に立って私ももどかしい思いもしましたが、理解力記憶力とレベルダウンが目立つ両親にややこしい説明をするのもためらわれていたのも事実です。

できればもう少しリハビリに励みたいが休職期間の延長は認められず、復職願い等の書類の提出を求められ現在返事待ちだから…と何回目かの説明をしました。

義父は常に父親としてではなく、会社の上司のような視点でshinを見ていたようです。
この30年近くshinを束縛していたものは、この義父の眼差しだったのかもしれません。

いずれにしても結果はもうすぐ出るでしょう。
shinが病気になってから待つことには慣れたつもりです。
もう少し待ってみましょうか。



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    ~少しずつ…ね ~



 *自宅復帰57日目*    2003 12/21(日)   


長女はスキー教室へ行きました。
朝早いバスだったのですが、苦手の早起きも今朝はなんのその…です。

ノンビリしすぎているところが親としては心配なのですが、先の事は心配しないタイプなので、きっと目一杯楽しんでくるでしょう。

shinは毎日パソコンに向かっています。
マヒのある右手はなかなか思うように動かずイライラしている時もありますが、少しずつでも滑らかになればよいと私は思っています。

諦めて止めてしまえばゼロ。
限りなくゼロに近くても毎日積み重ねていけば、いつか高さが出てくるはずと信じる事にします。

明日はまたH病院で検査があります。
どうぞスムーズに一度で終わりますように。



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   ~夜のスーパー ~




 *自宅復帰58日目*   2003 12/22(月)  


H病院で予定通り検査を受けました。
今日は段取りも良く(これが普通と思いますが)、それでも午前中一杯かかって終わりました。

shinにとってはシンドい検査だったでしょうし、結果がでればまた辛い思いもするでしょう。
検査の話が出たときにどうしようかと躊躇いもしましたが、この結果をスタート値にすればよい…と割り切りました。

結果は後日出ます。
shinも私も現実をキチンと受け入れなければいけないでしょう。

夕食の時、明日の祝日にお菓子を作りたいと次女が言い出しました。お友達にクリスマスプレゼントとしてあげるそうです。
長女が一人いないだけで食事の後片付の量も少なく、はやく終わりました。

shinが入院してから9時まで開いているスーパーに驚いたり助けられたりしましたが、今日は次女を誘って夜のスーパーでお菓子の材料を買いました。

クリスマスも近い8時過ぎのスーパーは思った以上に人も多く賑わっています。
聞いたことはありましたが、お惣菜や生鮮食品は次々にシールを貼られて値段が下がっています。
へえ~って感じでしょうか。

「私こんな時間にお買い物したの初めて~」といつもと違う体験に次女もちょっぴり嬉しそうです。
時にはこんな事も生活の刺激になるのでしょうか。



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~クリスマス準備~

  *自宅復帰59日目*  2003  12/23(火)


二女とクリスマスの準備をしました。
ティラミスも作りました。
彼女が友人達にあげるお菓子も作っていましたが なかなかおいしく出来ていました。



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  ~そして… ~
  
  
  *自宅復帰60日目*    2003  12/24(水)


shinが病気をしてからつけはじめた記録ノートの7冊目は
2003年の12月21日から始まっているのだが、書かれたのは3日間のみ。

書けなかった理由は多々あるのだが、12月24日に会社から「復職不可」の連絡があった事は大きいだろう。
shinも私も90%ぐらいの確率で復職出来ると思っていたので、この連絡には相当へこんでしまった。

しかしちょっとだけホッとしたのも事実である。
障害者として受け入れてくれれば…と言う甘さもありはしたが、やはり退院から2ヶ月しか経っておらず、身体的能力はともかく実務をこなせるかどうかについてはまだまだ途上レベルだったからだ。

とは言え年末年始も例年とは比べようも無くブルーであった。子供達にもキチンと説明したので、察してくれたのか「外出」のおねだりもなく地味なお正月を過ごした。
両親も半分ガッカリ、半分ホッと…と言う感じだろうか。

現場でどれだけshinが対応出来たかは分からないが、今、冷静に考えてもこの時点での復職は無理だったように思う。

OTのI先生には特に心配をかけてしまい、「不可」の知らせには本当にがっかりさせてしまった。
「再度アタック」も強く勧められたが、会社の風土からしてそれは無理だとshinも言う。(この一年間で身障者の就職の難しさをあちこちで垣間見る機会があり、この時I先生が言われた意味が改めて分かった気がした)

shinが転職してからこの会社の事は折々に聞いていたのだがやはり個性の強い会社と言う印象は私も持った。仮に仮にshinが復職しても辞めるのは時間の問題だったかもしれない。

I先生がPT・ST・主治医・SWまで連絡してくださったようで
25日に病院へ行った時には、すでに皆さん事情を知っていて下さった。

年末の忙しい時期にも関わらずSWのUさんも丁寧に対応して下さり主治医のK先生は緊急連絡先を教えて下さった。
だからってどうなるものでもない事は皆良く分かっているのだが、やはりこのタイミングで「人の情け」は身に沁みてありがたかった。

この「不可」のタイミングが年末になったのは偶然だったのだろうか。
ダメだった場合の対応策をキチンと立てていなかった私達も甘かったが、労働関係の相談窓口も閉まりどうしようもなかった。

年末でなかったらもう少し別の対応もでき、例えダメでも納得の度合いも深かったのかもしれないが、やはりタイミングが悪かった。
悪く考えれは…いやよそう。こんな時が自分がイヤな人間に見えてくるときだ。

年末年始のロスは10日あまりもあり、仕事始めを待っての退職関係書類の受け取り、記入、手続き、確認と年末より慌ただしい日が続いた。

ここでミスがあってはいけない(特に健保の任意継続は日程がギリギリだった)…との思いでかなり緊張してペンを握っていたように思う。

その中でも会社の担当窓口の女性は丁寧に対応して下さり、またSWのUさんも書類に目を通した上で「会社の対応に問題点はない」と何も分からない私達を安心させてくれた。

こうやってshinと会社との関係は切れた。
言いたい事は山ほどあるが、私達の姿勢にも反省点はあり、いつまでも済んだ事に拘っていても仕方がないだろう。
この一年間も色々な事があったが、沢山の方々のサポートのお蔭で何とか乗り越える事ができた。
大きな感謝と共に大切に過した一年を振り返る事ができ、私は心静かだ。

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6月の発病から半年あまり。このシンドイ系の日記を沢山の方に読んでいただきました。本当にありがとうございました。
 
shinの発病から一年目が近づいてきて私の精神状態が不安定になり、関連して半年間文章にする作業をしていなかった事もあり、いろんな思いが膨らみ過ぎてパンクしそうになる自分に気がつきました。

まず自分の気持ちを整理しなくては…そんな思いで始めた並行日記でしたが、スタートするにあってはやはり躊躇いが大きく書き始めてからも迷いは続きました。

しかし少しずつ書き進めるうちに、私が書いていながら分かっていなかった事や新たに気がついた事など多々ありました。
肩の力も徐々に抜けていき、後半はとてもリラックスして書く事ができました。

とは言え、家事の合間にまとめながら書きましたので、家族の用が続いたり体調が悪かったりすると何日も記入ができずに、相当溜めこんだ時もありました。

それでも楽しく書き続けられたのは皆さんの励ましのお蔭だと思っています。

さて、これからどうしよう…と12月に入ってからずっと考えていました。
12月23日でノートも終わっていることだし、もう止めようかとも思ったのですが、ネットの楽しさも少しながら分かり始めたのでもう少し続けてみてもいいかな…そう思うようになりました。

ただ今までのようにシンドイ系一本で行くのは私も飽きましたので少し模様替えをして…と計画を立て、今年の記入は25日くらいには終わって…と予定していたのですが。

いろいろとアクシデント続きで結局大晦日にやっと間に合い
ホッとしているところです。
 
クローズはしませんが暫くは更新はちょっとお休みします。
shinの就活の模様は折に触れて、普段はマヌケな主婦の目で見た世の中いろいろを書いてみたいと思っています。
年明けにリニューアルオープンをする予定でいますので、また来年も宜しくお願いします。

それでは、皆さん、良いお年をお迎えください。



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